ここ最近、休日になると片道5.3キロほどを、走ったり歩いたりしている。
平日は、気が向けば片道2.8キロ走る。

5キロなら走り続けることができるようになった。

今日は、初めて雨の中を走った。
曇りなので家を出たが、天気予報は晴れるといっていたのに、
雨が降り出した。しかもどしゃ降り。

空気が重い感じだったので、降るだろうとは予想してた。
だから、ウィンドブレーカーを着ていった。

それでも、本降りの雨は、中までしみこんできた。

通り過ぎる車の人たちから見たら、
土砂降りの雨の中を走る人は、たいそうかわいそうな存在に見えただろう。

でも、誰も「乗せていきましょうか?」などといってくる人はおらず、
大型トラックなどは、水しぶきを1メートルほどあげて通り過ぎていく。


その水しぶきを浴びながら、何台に一台の割合で、水しぶきを上げていくか、数えてみようと思った。


無神経な人、わざと水しぶきをあげる人ももちろんいる。
だが、数えてみると、世の中には、土砂降りの雨の中を走る人を憐れみ、
水しぶきを上げない人の方が多いことが分かる。

ありがたい世の中だと思った。

そういう人たちに、こんなびしょ濡れの姿を見せてしまうことは、申し訳ないと思えた。



だが、いつもは車で通りすぎてしまう道を、足を使って走ってみると、
意外なことが分かってくる。


車に乗って、楽そうに生活している人たちの方が、逆に哀れに見えてくるのだ。

そんな楽な生活をしていたら、体脂肪が大変なことになるだろうとか、
足が退化しちゃうだろうとか、
車で素通りするときには、思いもしなかったことを考えていた。

車の中から、走っている人を見ている時は、
頑張っているなぁ~とか、
かわいそうに・・・・と思うときさえあるのに、

実際は、そうでもないのだ。


しかも、土砂降りの中を走り、哀れな姿になってみると、
意外と、不幸は楽しいのかもしれない…なんて思えてしまうのが不思議だった。

金持ちを羨み、妬みの視線を浴びせる人より、
不幸な人を憐れむ人の方が多く、
その憐れみの視線は、実に暖かいものなのだ。



ほんの数時間、土砂降りの中を走るだけなので、
その不幸の度合いは、実に軽いものだから、そう思えたのだろうけど・・・・
もし、通りすがりの車に「乗せてください」とお願いたら、
乗せてくれる人はいるのだろうか?

簡単には、乗せてくれはしないだろうが、
諦めずにお願いすれば、
助けてくれる人もいるかもしれない。

不幸ってそうやって、脱出しないといけないのだろうなぁ~


そんなことを考えていました。

雨がしみ込まず、
顔に雨がかからなければ、
雨もさほど苦痛なものではない・・・・


本番に向けて、何を着るかもかんがえなくては・・・・